うまくいきかけたことが失敗しそうな時

今日は何だかややこしいタイトルです😊

私は以前、閉鎖しそうな英語教室を助けようとしたことがあります。今の教室とその教室を両方運営しようとしました。これはみんなのためになることだし、私にとっても学びになり成長できるだろうと考えて取り組みました。いろいろと難しい条件をしつこく諦めずに実現に向けて動いていると、素晴らしい人たちが現れて助けてくれ、あともう少し、というところでその話は消えました。

頑張ってきた思い、迷惑をおかけした皆様への思い、悔しい気持ち、怒り等々、感情が乱れました。

なぜこんなことが起こるのか、フラクタル心理カウンセラーとしては自明のことなのですが、自分のこととなると冷静に分析できませんでした。

運が悪かったのでしょうか?
誰かのせいなんでしょうか?

そのような反省では何も解決しません。

運などない。運は自分がつくるものだから、運が自ら動いているような言い方は不正確です。
誰かのせいではない。人にされたことは、自分が過去にしてきたこと。

そんなことしたかな。覚えがない。許せない!…そう考えてしまいますが、確実にしているのです。子どもの頃ならきっとしたことがあるに違いありません。私は十分に、人と比べてもワガママな方でしたから。絶対にした!思い出せる!!!と考えると記憶が生まれてきます。不都合な真実を、自身が呼び戻すという勇気を持てば何かしら出てきます。

お友達と遊んでいて、飽きたから帰っちゃった、とか、約束していたのに行かなかったとか。相手の期待、気遣いなどお構いなしだった幼い頃の体験がきっと見つかります。もう少し頑張れば、もっと自分の傲慢さを思い出すこともできます。が、それは自分の胸に納めさせていただいて、

さらに、この現象が起きている根本理由は何なのか、と考えると、やはり私のパワー不足が一番にあったと思います。これをやると私の生活はかなり大変になるけれど、それは何のため?誰かに感謝されたかったの?

私は英語教室も塾もない田舎の町で育ったので、田舎をアカデミックに、子供達に学ぶ機会をつくる!というのは強い動機でした。それは若干、育った環境への恨みも入っていたのですが、その恨みはエネルギーにすることができていて便利でした。でも、恨みはやはり必要ないものですし、フラクタル心理学を学ぶことによって消えてしまっていました。

どんな環境であっても学びたい思いがある人はどこででも学べる、手を差し伸べる必要などない、自分がこの仕事をしたい思いを大切にすればいいのだ、と感じるようになってきていました。

ある意味では、恨みやトラウマは便利で、エネルギーに変えられますが、私は消化してしまい、それには頼れないのでした。

だから今考えると、正直に言って、自分のエネルギー不足、体力不足など総合的に、私には荷が重かったのだろうと思っています。何が何でもやりきる思いと力が足りなかった…

誰のせいでも何のせいでもなかったのです。

そのことが心からわかれば、私は傲慢さを直すチャンスを得られるし、体力づくり、講師としての実力、さまざまな処理能力を鍛えることができます。閉鎖する教室ではなく、一から分教室を持てる日がくるかもしれません。

人のせいにしていると、メリットはひとつもないのです。

タイトルは、うまくいきかけたことが失敗しそうな時、です。このようなケースで、まだ失敗していない、結果が出ていない場合に、うまくいくようにできるよ!ということを伝えたいと思って書いています。


うまく行かなくなった時、その現象やその関係者に対して、何を感じますか?
強い怒り、強いイライラがあるととてもチャンスです。

しっかり観察してエッセンスを取り出してみてください。

その嫌なエッセンスが自分の中にあると決めつけて探してみてください。見つけられないと成長できないし、うまく行く可能性が残っているならその可能性を捨てることになります。見つけることにはメリットしかありません。

さあ、立ち向かってください❣️

メリットしかありませんよ😊

ミライの心理学

フラクタル心理カウンセラー 青木ひとみ

0コメント

  • 1000 / 1000